小屋日記
年始にやっと行くことができた「山城知佳子×志賀理江子 漂着」展。10月に張り切って行ったものの、振替休日で愕然としてからの再訪。
現実社会に疑問を持ったり怒ったりしていると、この社会はとても生きにくい。とくに小さな街では。原発事故の時にも痛感したけれど、今はあの時よりもさらに難しさを感じる息苦しさを感じる。このままでは自分が壊れてしまうのではないか、そんなふうに思うようになったのはここ数年のこと。
漂着展を観て、ああ、不条理な現実をまなざしつづけながら、歩き、思考し、こんなふうな形で現すひとたちがいるのだということに改めて衝撃を受けた。
いつだか青森県立美術館で志賀理江子さんの「螺旋海岸」に遭遇して以来、志賀さんの展示は出来る限り観てきた。とてつもないスケールだけどそこにはローカルな人々の気配が漂っていてとてもいいなと思う。
思えば私も漂着したひとり。きっと私もまだこの街でできることがある。その方法をもっと考えてみたくなる展示だった。
届いた展示のカタログを草太郎くんに自慢したら、羨ましがってくれて嬉しかった。カタログをもう一冊買う粋さがなかったことが悔やまれる。
今日は喫茶タロの日で、草太郎くんと高校生のRちゃんで古着や古本を並べてくれた。ちょっとしたマーケット感がよいかんじ。オープンとともにzさんがきて、寄付をしてくれる。わーん。ありがたや。お礼を言うと可愛いポーズを決めてくれた。
喫茶タロ中、少し抜けて昔の同僚と打ち合わせ。とある計画をきく。まさに私たちも必要だと思っている事柄。一緒に何かできたらいいなあ。
元同僚に昨今の出来事をいろいろはなす。前職時代、もっともたくさん喧嘩をした人だ。今の自分がどう見えるか気になった。
「うーん、簡単に言えば、違いを認めることじゃない?」
組織の代表になってからは、同じ考え方を大事にするのと同じくらい、違いも大事にすることの必要性を痛感しているらしい。「大変なことも多いけどね」と付け足した。
話していると突然サイレンが鳴った。気のせいかと思いそのままにしていると、「火事です」というアナウンスが流れチカチカとランプが点滅しはじめ、いそいそと店を出る。
小屋に戻ると、旅人やいつもの人で賑わっていた。洋服も少し売れたようでよかった。しばらくすると武井さんがやってきたので、ブログはじめたよ!と報告したら、何それ?と忘れていた。ブログにしたのは彼のアドバイスだったんだけどな、、、。ラジオをやろうなどいろいろ企む。「売らない本の企画は?」と武井さんがいうと、向こう側で服を見ていたKちゃんが「占いかと思いました」と。じゃあこの際、占いもいいね。
企む仲間がいるってのはしあわせだ。意味があることもないことも企んでいる限りは大丈夫と思える。
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