小屋日記
これまで「困った!」と言うことで、繋がりを作ってきた。全部ではないけれど、そういう部分が大いにある。
実際に困っているのはもちろんなのだけど、一般的な「支援する/される」「助ける/助けてもらう」という関係性へのカウンター的な意味合いがそこにはある。
ソーシャルワーカーをしていた頃に、あなたを助けてあげるよというスタンスで人と関わるよりも、助けて!と言う方が、その人の本来の力が発揮されるのを感じる場面が多々あって、とにかく弱さや困りごとは公開していこうというスタンスでやってきた。
例えば一般的なお金をもらう・商品を提供するという関係性はGIVE&TAKEの儀式を一旦そこで終わらせることができる。でもその儀式を一区切りさせず、宙に浮かせながら、どこで終結するかわからないギブやテイクがたくさん行き交うことがまちなかぶんか小屋の実践のひつと言える。
でもその方法が実は誰かの負担になってしまったことがわかったりしたのが去年のこと。
何がいけなかったのか。その理由は明白だ。わかりにくいからこそコミュニケーションが大事なのに、それを怠ってしまったのがいけなかったのだ。
そこには何をした、してもらった以上に「想い」があること。その想いを十分に受け止めることができていなかったのだと思う。わたしはどうやらそういう部分がポンと抜けてしまっているところがある。変わっていきたい部分である。
そして、もしかすると、「困った」を基準につながることそのものも見直す必要があるのかもしれない。この辺りはいろんな人と話していきたいテーマでもある。
そんな反省からスタートの今日は休館日なので、ひたすら書類を進める日。
傍で草太郎くんが書類チェックをしつつ、服や雑貨の整理をしてくれる。
そんな中、嬉しい電話が入る。書いちゃうと実現しなくなるかもしれないからまだ書かないけれど、実現したらこれはとっても最高なやつである。どんな形でも構わないので、何かしらの方法で実現しますように!とだけここには書いておこう。
「こんなふうに使ってみたいんだけどどう?」という連絡って、本当に、最も嬉しい瞬間である。私の想像なんていつだって軽々と飛び越えてしまうのだから。
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