小屋日記
遠くの街からハガキが届く。
もう暖かくなってタンポポが咲いたこと
でもまた寒くなったこと
手を動かして思考することのだいじさ
みたいなものが書かれていた。
誰かに押し付けるわけではない
静かに背中を押すような軽やかな文面に痺れる。
手を使って、身体を使って思考すること。
それはわたしが長年憧れているけれど
もやは苦手意識に変わりつつあるもの。
何しろ「暮らす」こと一つとっても、
全然うまくいなかないからだ。
ご飯を作る、掃除をする、服を整理する
そういった日常の動作は元々混乱しがちな私の脳をさらにややこしくする。
できうる限り身体を動かさずに過ごしたい。
身体を使って考えることの大事さを考える時
いつも思い出すのは安田登さんの「あわいの力」という本。
そこには「心」という概念が生まれる前の感覚について書かれている。
そこに登場する「か身交ふ」という言葉。
人の体を通して世界と交わるようなそういう身体感覚の存在。
確かにそういうものは存在すると思う。
そういうものに憧れると
つい、山登りだ!とかランニングだ!ダンスでも習うか?
と一足飛びにやろうとしてしまうけれど
たぶんそうじゃない。
きょうは昼に「摂食障害のあなたとお茶会」があり
夜はゆる体操。
どちらも身体にまつわる言葉がたくさん飛び交っていた。
ままならない身体をどう受け止めてどう過ごしていくか。
それはわたしだけじゃなくみんなが抱えるテーマなのだよな。
そういえばゆる体操を始めてから
少しだけ自分が変わり始めていることに気づく。
胃腸の調子が良い、というのが一番の違いなのだけど
自分の「軸」みたいなものがちょっと見えてきた気がする。
他者に合わせて見えなくなっているものなど
自分はそんなに無いはずだと思ってきたけれど
好きな音楽とか服とか気がつけば誰かの眼差しを内包している。
そういうものが少しずつ解けてきているような気がする。
何を食べたいとか、
どんな服を着たいとか
ああこの写真素敵だなあとか
心がうごく瞬間が増えている。
身体をゆるめることで感じられる
まだ見ぬ境地があるのだとしたら
それはとても楽しみなことだ。
そしてそれは4月から始まるあれこれにもつながる。
面白くなりそうだ。
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