小屋日記
“おばあさん”という存在がとても気になるのは、自分も必ずおばあさんになるから。そして、おばあさんは、ずっとおばあさんだったわけじゃ無いから。
きょうも何人かのおばあさんがやってきた。いや、考えてみたら何十人ものおばあさんだ。そのおばあさんたちは、みんな違う。
朝、小屋の前に立っていたあのおばあさんが、実は小屋があって良かったと、救われたと話していたと又聞きで知る。
本をふらりと見に来てくれたおばあさんの鋭い眼差しからは、社会をずっと見つめてきた人なのだと感じる。鞄から覗く憲法の前文。
きょうも立ち寄る卑弥呼の生まれ変わりの人は、自分はすごいと言う話と、すごくないという話のバランスが独特だった。卑下するというのとも違う。どちらも事実を話しているだけなのだろう。
他にも、竹ちゃん!とやってくるおばあさんたちがいる。カバンを作ってくれるおばあさん。コースターを縫ってきてくれるおばあさん。必ず雑誌だけを買いに来るおばあさん。困ったら駆け込んでくるおばあさん。
かつてはこの街で遊んだり、オシャレをしたり、恋をしたり、またはしなかったり、そんなおばあさんたちの記憶はどこへ行くのだろう。この街を漂っているのだろうか。
おばあさんが、おばあさんじゃなくて良い場所であれたらいいなあとおもう。わたしも将来そんな場所を探す気がするから。
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