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小屋日記

「荷物取りにきてくれる?男性1名希望!」 そんな電話から始まる1日。 草太郎くん、行ってきてー!!!! 「わたしも行きます!」と高校生のRちゃん。 軍手装着し、雪道をかけていく2人。 程なくして段ボールを抱えて戻ってくる。 そこには丁寧に新聞紙に包まれた 小さな雑貨たちがぎっしりと詰まっていた。 電話をくれた男性にお礼にとドリンクチケットを3枚渡すと 「家内と2人で飲みにくるので2枚でいいですよ、ありがとう」 それからすぐに、期日前投票の帰り道にお二人で寄ってくれる。 街中でずっとお店を営んでいたという。 「そうあの頃はまだ手の噴水が街中にあったわね」と女性がいう。 「今度引っ越しをする予定だからもしよかったら手伝ってくれないかな」 ちょうど珈琲を飲みにきていた男性が「あ、私も手伝いますよ」と。 家族がいても離れていたりしてなかなか気軽に頼むことができない そういう事情を想像することはむずかしくない。 そんなちょっとした「頼み事」って街の中に溢れているのだろうなと思う。 そういう時に、ここを思い出してくれること嬉しいなと思う。 SOSチームがいたらいいのになと思う。 まちなかぶんか小屋のことを「なんでも屋」と呼ぶ近所の人もいるように 本当に街の便利屋になれたらきっと面白いだろうなーー。 しかしそんな思いを抱くにはあまりにもてんやわんやの日々。 「ぶんか小屋って本当はスタッフ4人くらい必要ですよね。もっとか」 と草太郎くんがつぶやいた。 そ、そうだよねえ!?!?!? まあ、でも、そんなふうに自分のこととしてつぶやいてくれる人がいる。 それだけで十分救われているんだけどな。と思う。言わないけど。 思ったことをどれぐらい言うか、言わないかって難しいよなあ。 草太郎くんが私にムカついて書いたという文章を読みながら思う。 それにしても誰かが書いた文章って面白いなあ。 日が暮れる頃、Iさんが寄ってくれる。 仕事がてら、だったのだけど、そこに来た主催の方と一瞬で意気投合し そのまま夜のイベントに参加していた。なんとも軽やか。 今夜は、初めての方が小屋を使ってくれる日。 藤井風さんの曲をみんなで歌いながら 歌詞の理解や英語の発音を深めていくというもの。 とっても盛況。やはり使う人で空間は変わるから面白い。 参加者の中に、小学生のともだちも来ていて時々 はちゃめちゃな机の上であれこれ...

小屋日記

歌声喫茶の木曜日。先週に引き続き、とってもにぎやか。寒いけれど、すこんと晴れているからなのか、新年のシャキッとしたムードによるものなのか。あたらしい人が入ってくると、すぐにいつもの人たちが、ここどうぞとかお茶どうぞなどと声をかけている。これもきっと、参加者が増え続ける大きな理由なのだろう。 「竹田さんお客さんですよ」 事務作業を進めていると、有村さんが誰か来たよと教えてくれる。シロチームのTさんたちが、袋いっぱい詰めた木端を持って、立ち寄ってくれたのだ。シロを通じで出会う人たちは不思議な共通点がある。それはどんな人や物事にも「線を引かない」ということ。線を引かれないことに不思議な感覚を覚え、そうして初めて自分がいかに社会の中で線を引かれてきたのか、無意識にそれを受け入れてきたに気がつくのだった。そして自分もまたいくつもの線を引いてきたに違いない。そんなことを毎回気づかせてくれるのがシロの皆さんなのだ。 そんなみなさんとハルニレカフェでランチをして戻ると、ぐすペリのりもさんとAさんが七福のお弁当を食べていた。そこに、自転車にとんでもなく大きな棚を乗せたおじいさんが登場する。シロのTさんとAさんが外に出て大きな棚を運び込んでくれる。「いやあ疲れました」とおじいさん。そりゃそうだ!残りはまた明日持ってきますね。と帰っていく。かつてお店の什器だったという長細い棚。窓際に置いたらとても良さそう。 シロのお二人が帰ったあと、Aさんに手伝ってもらい気になっていたクリスマス関連のものたちを商店会の倉庫に戻す。そこにOさんがやってきて、続いてたけいさんがやってきてしばしおしゃべり。「もう春だね」という私とOさん。まだ冬でしょというAさんとたけいさん。 そんなみんなが帰ったあと、おしゃれな女性がやってくる。何やら用事がありそうな感じだなあと思っていたら「この前、ここでカシミアのセーターを買ったんですけど」。もしかしたらサイズが合わなかったのかなあと思っていると 「それがとっても素敵なセーターで。最初は500円だし安くてラッキーだなと思ったんですが、ちょっと安すぎると思って。もう500円払っても良いですか」という。えええ!そもそも500円だし大丈夫ですよう。 といいながらも頭の中はぐるぐる。というのも、その人がセーターを本当に気に入ってくれたこと、買ってからそんな想いを持っていてくれた時...

小屋日記

すこしのあいだ京都と大阪へ出かけていて、久しぶりの小屋。到着するともうすでに催しが行われていた。 「朝来たら、シャッター閉まってるんだもんびっくりしちゃった」「私も!」わはは、という声が聞こえてくる。有村さんが飛んできてシャッターを開けてくれていたようだ。 そこには久しぶりのNさんの顔も。この街で小さな出版社をやっているNさんは忙しそうではない時がないから会えただけでラッキーという気持ちになる。早口で近況報告しつつ、話はやはり、 いやはや選挙どうしますか、っていうそれになる。 午前中の催しがお開きになり、デザイナーのHさん、市議のAさんが珈琲をオーダーしてくれる。引き続き話題は、選挙どうなんだろうね。うん、どうしたらいいんだろう。わからないね。そんな類いから、旭川のバスの本数が減ることについてなど。この街は車を持っていないと移動がとても大変。だからといって、バスの本数を無理に増やそうとすれば、今の状況では運転手さんに皺寄せが行ってしまうのだそうだ。 わたし自身は車に乗るのが常であり、実は今、その車の調子がとても悪い。それを伝えたらAさんが飛んできてくれた。その前から調子が悪かったワイパーを直してくれつつ「うーん、サーモスタットと、あともしかするとラジエーターかもね。すぐ壊れることはないけど、一度点検してみてもいいかも」。じゃあ市役所に行くので、と、颯爽と帰っていく。 「ちょっと相談したいことがある」と連絡をくれていたRちゃんがやってくる。黙々とミサンガを編んでいて、小屋に置いて欲しいという。一つ一つはとても可愛いのだけど、正直、ミサンガが売れるかどうかはわからないなあ。どうかなあ。そこにやってきたNさん、Mさんも加わり、どうすれば売れるかを考える。「ネコへの手紙を同封するのは?」というMさんのアイデアを頂戴し、すべてのミサンガに手書きのメッセージを入れることにする。可愛いグッズの完成だ。早速あしたから並べてみよう。 今日はそんなみんなで、はじめて幻聴が聞こえた日のはなしとか、利用者さんから支援者さんに変わっていくなかでの葛藤のこととか、病院のくすりのこととか、そんな話題もしたり。これまであまり人の輪に入ることのなかったRちゃんだけど、すっかりオープンマインドになっていることに気づく。 “だって、話すとラクになるからね〜”。 気がつけば下川町に暮らすFさんが座っている...

小屋日記

​ いつからを月末と呼ぶのだろう。 15日は中旬だとして、20日もまだ半ばのような気配を持っている。じゃあ23日は? カレンダーはまだですか、と何人かに聞かれてはじめてもうそんな時期なのだと気づく。 慌ててPCを立ち上げ、2月のカレンダーを埋めていく。 2月の催しをひととおり記入してから、イベントの入っていない時間を眺める。 今小屋に必要なのはなんだろうか。足りてないものはなんだろか。 そう、いちばんピンチなのは経営。そういう観点からいえば、フリーマーケットをやる必要性がある。 だけどほんとうに足りてないことをわたしはわかっている。 それは、いろんな人たちと顔を付き合わせて話し合うこと。 年末、ものすごい勢いで小屋の未来について考えたり推し進めてきたのに 一月に入ってからはなんだか気が抜けてしまっていた。 ほとんど体調を壊してしまっていたというのもあるけれど、 気持ちがぐんと内に向いている。 寒さもあるのかな。落ち込んでいる、とかではまったくないのだけど、じっくりぼんやりただただ考える月だった。 さあ少しずつ陽も長くなってきたし、ここを抜ければ立春だ。

小屋日記

久しぶりの歌声喫茶が終わったお昼頃に出勤するとまだその熱気が残っている。久しぶりだから疲れちゃったよと言う村住先生は本当にちょっと疲れた顔をしていた。まだ残っている人もいて、いやー本当に今日はたくさん来ましたね、それにしてもいろんな歌を歌うんですねえなどと話をしている。年末から休んでいたAさんの姿はやっぱり無いな、と思ったら台所から現れた。歌声の食器を洗ってくれていたのだ。やあやあ。いつもの日々が始まる。 今日は午後から市役所の方が経理簿をチェックしにくることになっていたので、なんとなくテーブルを整えたりしていると、最近ほぼ毎日来てくれている年配のAさんがやってきて、有村さんと意見交換をしている。程なくして、市の方もやってきた。 続いて「お昼にコーヒー飲みに行くかも!」と連絡をくれていた0さんがやってくる。きっとあのひとことを言うに違いないと待っていると、「たけちゃん珈琲一杯よろしく!」と予想通りの一言がやってきて嬉しい。旅人風なHさんもやってきて、帰ったはずの元祖Aさんも戻ってきていて次第に近況報告会へ。近況報告といっても「最近ここに行ってきたよ!」というものではない。思い通りに行くとは限らない体や心とどのように向き合っているのか、最近の向き合い方みたいなものが主だ。次第にその境界線は曖昧になり、大きな輪になっていく。年配のAさんも市役所の方も会話に入ったり入らなかったりしながら時間が進んでいく。 途中、今日ももれなく選挙の話になる。どこにいれたら良いのだろうと途方に暮れるOさん。同級生や後輩議員にいれることに決めているという年配のAさん。公共的なスペースで選挙の話ってあまりしないのかもしれないけれど、選挙の話にならないほうが難しい。だって、生存に結びついているから。そしてだいたい支持先もみんなバラバラなのもおもしろい。 夕暮れ時にはほとんどみんな帰ってしまい年配のAさんと2人になる。Aさんの呼んだタクシーがくるまで、Aさんのバックボーンなどを聞いたりする。多様な困難を抱えながら社会と繋がろうとした時に、そういう場所ってあんまりないのかもしれない。年明けに「まちづくりのことを話したいから今から行っていいですか」という電話が来た時は、どうしたものかと思ったけれど、「まちづくり」という言葉はあいさつみたいなものなのかもしれない。それならもっとテキトーに使ってみてもいい...

小屋日記

二十四節気の「大寒」の知らせと共に寒波がやってきた。「今季最長寒波」と呼ばれるそれは、日本各地を荒れ模様にしているらしい。旭川も大変なことになるのではと覚悟していると、すこんと青空が広がっている。確かに寒い。けれど、毎年この時期は-10℃以上になることを考えると、「今季最長寒波」という響きは少し大袈裟な気がしなくもない。そういえば寒気と寒波ってどう違うのだろう。熱気と熱波もそうだ。「パ」という響きの方が勢いを感じるけどどうなんだろう。 今日は退院したばかりのRちゃんがやってきた。「妹も一緒に来たよ!」というけれど、見渡しても誰もいない。「あれ?緊張して逃げちゃったみたい。大丈夫、怖い場所じゃないよ!」とRちゃんが一所懸命招き入れていた。そうしてやってきたMちゃんは緊張していた。大丈夫、私も緊張しているから。そんなことお構いなしでRちゃんは席を立ってしまった。残された2人。どうしよう。緊張しながらもポツポツと話す。「ここって買い物の公園なんですか?」「そう、買い物の公園だよ」と我ながらなんとも頼りのない返答をしてしまう。 入れ違いで、最近よくきてくれるおじいさん2人組がやってくる。入り口で鉢合わせた4人はなぜか「ごめんごめん」「こっちがごめん」「ワハハ」と和やかに笑っていた。なんかわからないけれど、こういうことなんだ、、、と思う。あの場に居合わせた人たちはもう忘れているかもしれないけれど、「場」って、あの一瞬みたいな景色の積み重ねなんじゃないかと思うのだ。 今日は「政治と生活のあいだ」からの「紙媒体を考える会」。誰も来ない日もあるし、それでもいいからと借りてくれているのだけど、実際、誰も来ない日はない。今日はいつにも増して入れ替わり立ち替わりたくさんの人が来て、まさに政治から生活までを終始行き来していた。合間に、久しぶりにT君が立ち寄ってくれる。そういえば!とある企画を伝えると「実は自分もやりたいことなのだ」と。ああ、よかった。なんとなくそんな気はしたけれど、そうじゃない可能性もあったので伝えるか少し迷っていたのだけど、伝えてみてよかった。 そんな和気藹々とした空気を感じながらの事務作業は捗る。やっとこさ「ケアとアートを考える」講座も固めることができた。最後のピースもばっちりハマった。かなり切羽詰まったスケジュールでお願いしてしまったのだけど、全員が快諾だったのは何か...

小屋日記

ぐんと冷え込んだ朝。 外に出ると頬がひりりと痛い。 出勤すると、電話が鳴った。 「以前、電話をした者だけど、例の物を届けていいかな?」 5分もしないうちに、自転車に紙袋や包装紙をたくさん乗せて届けてくれた。 冬は自転車の出番はないと思っていたけれど、押し車のようにして荷物を運ぶ役目があると知る。 「処分するのは簡単だけど、誰かに使ってもらえるなら使ってほしくてね」 と、以前まちなかでお店をされていたという男性は言った。 そう、誰もが知るあのお店の包装紙。そうか、今はもう1店舗も無いのだなあ。 そのあと、やってきた男性。 「昨日、母が亡くなって。15時45分でした」と。 以前、確かお母様が施設に入っていると話していたような。 「だから母の洋服を持ってきてもいいかな」 SMAPが好きでコンサートに行くための服をいっぱい持っていたという。 思い返せば、亡くなった大切な人の服をもらうことがとても多い。少しでも誰かに渡って欲しいという思いが伝わる。 それにしても昨日の今日。 もしかすると誰かに話したかったのかもしれないし、そうじゃないかもしれないけれど、お母さんの服たちが届いたらできる限り次の人に手渡していきたいと思う。 続いて久しぶりのAさんも立ち寄ってくれる。 「元気じゃないけど、それなりにやっているよー」。 元気じゃないけど寄ってくれるの嬉しいね。 お茶を飲みながら互いの近況報告。 小屋ではTさんによるリトミックが初開催。 主催のTさん「今日は誰も来ないかもなあ」と言っていたけれど、Jさんが登場し無事にスタート。 リトミック、イメージと違うっ! とにかく身体を使う。感情も使う。 聞けば、100年以上前にスイスで生まれた「音楽を身体で感じ、表現するための」ものらしい。 「表現」というところに重きが置かれていること、全然知らなかった。 だからぶんか小屋を選んでくれたんじゃないかなあと思う。 帰り際、TさんとJさんは「北斗の拳」の話でものすごく盛り上がっていて、それが意外なようなそうでもないようなでなんかよかった。 Tさんが帰るのと入れ違いで、ぐすぺり帰りのFさんが立ち寄ってくれる。 早速、やってきた包装紙を見せると「使えるね、使いましょう!」と。 ぶんか小屋にやってくるいろんな物たち。 洋服にしてもモノにしても「そのまま」使うのではなく「工夫」して使う人たちがたくさんいて心...

小屋日記

喉の痛みの予感は、その日の夜には高熱へと変わり、再びダウン。 またしても草太郎くんに代わってもらうことに(申し訳ない、、、)。 しかも代わってくれただけではなく、 「15時54分からHBCですよ」と、念まで押してくれる。 そう、この日は 「アイヌとマジョリティー~差別に抗うのは誰か~」の放送日。 番組には、時々ふらりと立ち寄ってくれるDischarming manの海老名さんや、 イベントにも足を運んでくださる青木さんなども登場していて、 北海道で起きている、アイヌの人々をめぐる差別の状況、 そしてそれに抗う人たちの姿が映し出されていた。 なかでも、青木さんの 「差別はなくせないけれど、一つ一つは終わらせることができる」 という言葉が、とてもとても印象に残った。 一つ一つ、終わらせていく。うん。 TVerで一週間ほど観られるそうなので、ぜひ。

小屋日記

オープンと同時に久しぶりのとおるちゃんがやってくる。 何を話すでもなく黙々を本の整理をしている。 私はその間にお弁当を食べたり、文章を入稿したり。 とおるちゃんは生死を彷徨う大きな事故に遭い、 高次脳機能障害という診断を受けている。 絵を通じた啓蒙活動を行なっていて、ぶんか小屋でも2度ほど展示をしてくれた。 年々足が痛くなっていて、今はもう杖がなければ歩けないという。 この先、どうなっていくのだろう。と不安を話していた。 そうこうしていると、四戸さんがやってきた。 今日のイベントの打ち合わせ。さてどうしよう、と話していると 「機能を考えない家具を作るのはどう?」と四戸さん。 そのモノと向き合った結果できたものを、工夫して使うのはどうだろう。 とっても面白い。四戸さん、なんか、一皮剥けた感じがある。メガネしていないし。 14時になると次々人がやってくる。 デザイナーの佐藤さん、大工の黒蕨さん、そして緑川さんに、有村さん、看板職人の藤林さん、旭川にユータンされたというHさん、この前来てくれたKさんとパートナー、久しぶりのKさん、遅れて高校生のRちゃん。 前回の話より具体的にということで、佐藤さんと黒蕨さんも登場してくれたのである。 小屋の悩み相談にこれだけの人が集まってくれるって、とってもありがたい。 そうして小屋の、主に空間のあり方について議論をする。なんともユニークな案が飛び交う。 そして見えてきたのはぶんか小屋の多様な価値を「空間」で表現するというテーマ。 木材一つひとつが持つ個性や、端材の形などをそれで表現できたら面白いねという話になる。 その第一弾として次回は「掲示板」作りに着手してみようということで一件落着した。 中心で動いてくれている緑川木材の緑川さん。忙しいのになぜ。 「普段、めちゃくちゃ合理的な世界で働いているから、 ここに来るともう真逆だからすんごい新鮮なんですね。」 今日は実はもう一つイベントがおこなわれていた。 「まちなかソリ散歩」 ぶんか小屋の片隅にソリレンタルをする店番の高校生が静かに座っていた。 1回目ということもあるのか、いつまで経ってもソリを借りに来る人の気配はない。 Rちゃんが話しかけ、気がつけば部活や応援団の話で盛り上がっている。 「メイクしたら世界が変わるよ! ツルハのコスメコーナーとか何時間でもいれるようになるから」 「タケダさ...

小屋日記

ぶんか小屋洋服店の服が売れた。黒いニット。 「Instagramはそんなにみないけれど、ぶんか小屋さんのは見てて」 と教えてくれる。 そこで目にとまったのが黒いニットだったという。 とってもとっても似合っていた。 ぶんか小屋洋服店というコーナーを店の片隅に置いている。 洋服のことはわからない。 ただ、そこに服を並べる人が本当に良い!と思った服だけを置くというルールがある。 だから売れていった時、本当に嬉しいのだ。 そんな風景をいつまでも眺めていたかったが 今日はSOS案件があり古本屋のTさんを誘い現地へ向かう。 要は「猫の餌やり」なのだけど、これがなかなか大変。 病み上がりには少々ハードであった。 制度だけではどうしようもない、色々な困り事がある。 そういう部分をどう支えていくのか。 あくまでも「友人として」というのが今のスタンスだ。 友人だったら断ったりもできるし、また別の友人にも頼める。 なんというか「福祉」のつながり方とかとはまた違う広がり方をする。 それをもっと個人に負担のない形にできないかなあなどと考えていた。 小屋に戻ると、Fさんが待ってくれていた。 去年わたしが作った小屋のイメージ図を丁寧に読み込んでくれていて それにFさんが「それってこういうことかな?」と応答するような とても嬉しい企てというか、試みというか、思案というかを持ってきてくださった。 そこにはちょっとした文章が書かれていた。 この文章を私はこれから何度も何度も読み返していくだろう。そんな言葉が並んでいた。 (といいつつ、あれ?文章どこやったかな?といつものように探してたら それを見越したと思われる草太郎くんが壁に貼ってくれているじゃないかー!!) そんなやりとりを、お茶をしにきていたAさんがぼんやり眺めていた。 「なにを話しているのか、全然わかんなかった。 何をしようとしてるの?」と本当に不思議そうな顔をしていた。 街づくりをしたいから人と繋がりたいという理由で最近立ち寄ってくれている。 既存の街づくり的な要素がほとんどないぶんか小屋をどんな風に眺めているのだろうと 思いながら、もう少しこの混沌にぜひ付き合ってもらえたらいいなと心の中で思う。 そんなこんなしているうちにあっという間に陽が暮れていく。 「明日のイベントの打ち合わせをしていないですよね!」 と慌てたSさんがやってくる。 そう...

小屋日記

​寝込んでいた。 2日前の夕方に感じたふわっとした喉の痛みは、その日の夜には高熱という形で現れ、たちまちダウン。 翌日の仕事を急遽変わってもらい、湯たんぽを両脇に抱えてひたすらに眠る。 体調が悪いって、辛い。 風邪を引くといつも思う。この世は、健康な人ばかりでできているわけではないこと。 体調が悪い人も参加しやすい社会になっているだろうか。きっとなっていない。 関係ないが、私はお酒が飲めない。それだけで、社会に少し参加しにくい。 そんな風に、社会の中には見えない壁が無数に存在する。 体調が万全じゃなくても参加できる仕組みがきっともっと必要だ。 なんだろうzoomとか? なかなか微熱が下がらないので、一瞬だけぶんか小屋で仕事して帰宅。 何やらちょいと大変そうな案件が舞い込み、考えながら横になる。 明日には良くなるだろう。

小屋日記

KEITO場の日。 シフト上は休みの日なのだけど、KEITO場の2人に会いたいのもあり、シャッターを開けに行くよ!という口実で出勤する。だからといって何かを話すわけではない。糸を囲んでみんなが手を動かしている、その空気を感じてにやにやしている。みんなで手を動かす時間にはどうやら不思議な力がある。それは前身のPAINT BAR時代にも感じていたこと。 BGMをどうしようと思い、「カフェ・ミュージック」という当たり障りのないチョイスをしたら「このぶんか小屋らしからぬ音楽に違和感を感じるんだけど」とヨシカさんが笑っていて、そうだ、そうだよね、いつものでいいんだよねと安心していつもの音楽をかける。 音楽を選ぶ行為って、どうやって他者と対峙するかに似ている気がする。どのあたりでいくか。自分と他者のあいだに流れる時間をどうイメージするのか。 そんなKEITO場の空気を感じながらひたすら作業。キッチンの掃除、古着の整理、フライヤー作成、公的な書類の提出。あっちをやってみたり、こっちをやってみたりするものだからなかなか終わりが見えない。 そうだ、とpodcastを聴く。SHIROのタビシロが更新されていたので、早速聞いてみる。財団の話。「みんなごちゃ混ぜになって」にうんうんと思っていると、「ぶんか小屋のたけちゃんも」と自分が登場する。そうそう、このブログを始めたのも、今井さんに「笹塚10号のいえ」の話を聞いて、日常の細部をちゃんと記録しておくこと、共有することをしてみたくなったのだった。 podcastといえば、最近聴いて面白かったもの。来月ぶんか小屋に来てくれる齋藤さんと小林さんの「哲学で抵抗する」という本に関するもの、銀色夏実さん山塚リキマルさんの「新・不良大陸」、宮坂舞花さんの「砂漠の耕し日記」。誰かが考えていることを知れるのは嬉しい。聴き終えてからそれらに登場した「哲学で抵抗する」を読み、トリン・T・ミンハの資料を探し出し、長尾謙一郎の「クリームソーダシティ」を読んでいる。楽しい。 さ、仕事しよう。

小屋日記

これまで「困った!」と言うことで、繋がりを作ってきた。全部ではないけれど、そういう部分が大いにある。 実際に困っているのはもちろんなのだけど、一般的な「支援する/される」「助ける/助けてもらう」という関係性へのカウンター的な意味合いがそこにはある。 ソーシャルワーカーをしていた頃に、あなたを助けてあげるよというスタンスで人と関わるよりも、助けて!と言う方が、その人の本来の力が発揮されるのを感じる場面が多々あって、とにかく弱さや困りごとは公開していこうというスタンスでやってきた。 例えば一般的なお金をもらう・商品を提供するという関係性はGIVE&TAKEの儀式を一旦そこで終わらせることができる。でもその儀式を一区切りさせず、宙に浮かせながら、どこで終結するかわからないギブやテイクがたくさん行き交うことがまちなかぶんか小屋の実践のひつと言える。 でもその方法が実は誰かの負担になってしまったことがわかったりしたのが去年のこと。 何がいけなかったのか。その理由は明白だ。わかりにくいからこそコミュニケーションが大事なのに、それを怠ってしまったのがいけなかったのだ。 そこには何をした、してもらった以上に「想い」があること。その想いを十分に受け止めることができていなかったのだと思う。わたしはどうやらそういう部分がポンと抜けてしまっているところがある。変わっていきたい部分である。 そして、もしかすると、「困った」を基準につながることそのものも見直す必要があるのかもしれない。この辺りはいろんな人と話していきたいテーマでもある。 そんな反省からスタートの今日は休館日なので、ひたすら書類を進める日。 傍で草太郎くんが書類チェックをしつつ、服や雑貨の整理をしてくれる。 そんな中、嬉しい電話が入る。書いちゃうと実現しなくなるかもしれないからまだ書かないけれど、実現したらこれはとっても最高なやつである。どんな形でも構わないので、何かしらの方法で実現しますように!とだけここには書いておこう。 「こんなふうに使ってみたいんだけどどう?」という連絡って、本当に、最も嬉しい瞬間である。私の想像なんていつだって軽々と飛び越えてしまうのだから。

小屋日記

りすのほっぺさんによるフリーマーケットな1日。 「こんにちは〜!」と、とっても明るい“町はずれの占い師”さんも登場。フリマとお菓子と占い。なかなか不思議な催しがスタート。 びっくりしたのは、開始と同時に占いを求める方々が途切れないこと。「まあ、適当に聞いてね」と言いながら、ゆっくりと本題に入っていく。涙する人、決意をする人、喜ぶ人などそのリアクションをのぞいているだけでも興味深い。 そこにやってきたのがWさん。白老在住でたまに現れるなかなかクセの強い人物。こりゃどうなっちゃうかなと遠くから見ていると、不思議な世界の話でシンクロしていた。すごい。 占い師さん。「ここの色とちょっと違っちゃってて大丈夫?」と心配してくれていた。日々借りてくれる人によって「色」が変わるので大丈夫ですよと説明する。いつだか川谷大道具の川谷さんが「まちなかぶんか小屋は何色にでもなれる場所であるべきだ」と話してくれたのを思い出す。それでもやっぱり、こういう場所っていう空気みたいなのはあるのかもしれない。その辺りのバランスってとっても難しいなあと思う。 そんなやりとりを終始あたたかく見守るりすのほっぺさん。目の前のことをジャッジしないでただそこに居る澄んだ空気がいつも印象的な方。作ってくれるお菓子も本当にそのまんまの味で美味しいのだ。今回特別に作ってきてくれたキャロットケーキにみりん粕のスコーンがこれまた味わい深くて最高であった。 今日は成人式だったようで、昼を過ぎると華やかな出立の人たちが通り過ぎていく。その間に、三和・緑道商店会の人たちが次々とやってくる。ドリンクチケットを購入したいと寄ってくれるMさん、レゴを求めにきたKちゃん親子、昨日に引き続きのぞいてくれたMさんファミリー。 久しぶりのCさん、Tさんも顔を出してくれる。気がつけば食器を洗ってくれたり、服を整理してくれたり。ありがたすぎる。 それから、これまたお久しぶりのNさんたちが、来年から定期的にライブをさせてほしいとやってくる。新しく何かを始めるときにこの場所を思い出してくれたことが嬉しい。また未知なる時間が始まっていく予感。 また、近所に住む91歳のKさんに「これ、開けてくれる?」と、蓋が開かないというネイルを渡されたり、たまーに通るかなり長髪のおじいさんが「家でするのにいいなぁ」とティアラを買っていってくれたこと、いろいろ悩んでい...

小屋日記

久しぶりのSOSマーケット。 ボロモノ市だったり、ほぼ無人バザーであったり、まちなかぶんか小屋のフリーマーケットには未だ定着した名前がない。ただ、この時期だけは決まっている。 SOSマーケット。小屋の運営が厳しいので助けてくださいという身も蓋もないネーミングである。今年はいつもよりも早めのSOSを出すことになってしまった。どうやら物価高騰とやらがじわじわ来ているらしい。 今回はレトロな古着たちを並べてのんびりやろうと考えていたところ、告知を観たわったんが「雑貨を持っていっていい?売上は全部寄付するから」と。忙しい中、時間前に来てくれて、とんでもない量の雑貨を鬼のようなスピードで並べ「じゃ、片付けにまた来るから」と仕事場へ出掛けていった。 そうやって並んだ雑貨。結局私が一番楽しみにしているのではないかと思ったりする。今日もフクロウの人形から昭和なキーホルダー、味のあるコーヒーカップ、プリントごっこ、ジューサーなどがギッチリと並ぶ。 そうだ、今回は500円で「お好きなだけどうぞ」にしてみようと思いつく。手伝いに来てくれていたAさんも、それいいね!と同意してくれたのでやってみることに。 これがなかなかのヒットであった。開催と同時にふらりとやってくる方々。買うものないなーっていう感じの人も、気がつけば500円コーナーで楽しそうに選んでくれている。Aさんは次々来てくれる人と一緒に「確かにこれいいですよね」と選んでいる。Aさんのリアクションは、接客という感じではなくて、本当にその品物がいいなあと思っているのが伝わる。ご本人は「何もできていない」というけれど、そういう温度感って真似しても出せない。すごいなあ。 そんなこんなで次々といろんな人がやってくる。とっても似合うカラシ色コートを見つける人、レトロジャケットが全部が全部似合ってしまう人、500円コーナーで抱えきれないほどの量のものを掘り出すついでに品物も並べてくれる人、ついに91歳になったわよと話す近所のKさん、ベルトじゃなくて本当に欲しいのはセーターだったというKちゃん、お年玉を握りしめてきてくれたこどもたち、砂澤ビッキ展帰りのRさん、「魔除けに」と猫のポストカードを買う女性、年齢を一つ間違えていたから急いで人生のコマを進めないといけないと話すHさん、、、などなど。 途中、一度来て帰っていった近所のKさんが「携帯が壊れちゃっ...

小屋日記

今日は原部さんの実験教室。まちなかぶんか小屋がスタートした時から続いている催しである。手書きのフライヤーがとてもかっこいいのだ。「ずっと続けているけれど、人気ないし続けていて意味があるのだろうか」とこぼす原部さんに、参加者の方々が「続けてください!」と答えているのが聞こえてくる。参加している子供たちが「参加費300円なんて安すぎる!3000円でもいい!」と言っていて可笑しかった。ずっと使ってくれている人たちにもっと安心して使ってもらいたい。参加者の方が帰りがけに「こういうイベントがないとなかなか入りにくくて」と絵本や古着を買っていってくれる。 その間に、ちょっとお願いしたくてと女性がやってくる。「ここで毛糸の靴下を売っていただけませんか」。毛糸の靴下をたくさん作る方がいて誰かに履いてほしいという想いがあるのだけどなかなか行き先がないという。管理が大変なので、委託販売はあまりやっていないのだけど、1足500円というし、売れなかったら自分が買えば良いと思い預かってみることにする。毛糸の靴下は、冬の間ずっと愛用しているのだけど、ほしい時にいざどこで買えばいいのかいつも悩む。道の駅なんかであると必ず買ってしまう。日頃からもっとスポットがあたっていい存在だと思っている毛糸の靴下がやってきてちょっと嬉しい。 誰もいなくなった小屋で経理の打ち込みをする。最も苦手な作業である。まずSieroの「THE GOAT TAPE4」を聴き、そのあとポッドキャストでベネズエラの見解について述べるものをいくつか聴きながら。帝国主義が戻ってきたようだ、そんな意見をいくつか目にする。帝国主義とはなんだろうと調べると「 飽くことなく自国の領土・勢力範囲を広げようとする侵略的傾向。また経済上、国際市場を独占しようとする、資本主義の最終的段階」とある。この世界がさっぱりわからない。けれどもこの現実を安易なストーリーに落とし込まない。まずは混沌としたまま受け止めてみる。 Sieroのラップを聴いて、そう思った。 Hさんが仕事の合間にドリンクチケットを買いに来てくれる。ドリンクチケットが売れることも嬉しいが、それをきっかけに定期的に立ち寄ってくれるかもしれないということが最も嬉しい。 その後は、いつものおじいさんが古本を買っていってくれる。「もうすぐ死ぬのに本買ってどうすんだろうね。俺ももう90歳になったか...

小屋日記

年始にやっと行くことができた 「山城知佳子×志賀理江子 漂着」展。 10月に張り切って行ったものの、振替休日で愕然としてからの再訪。 現実社会に疑問を持ったり怒ったりしていると、この社会はとても生きにくい。とくに小さな街では。原発事故の時にも痛感したけれど、今はあの時よりもさらに難しさを感じる息苦しさを感じる。このままでは自分が壊れてしまうのではないか、そんなふうに思うようになったのはここ数年のこと。 漂着展を観て、ああ、不条理な現実をまなざしつづけながら、歩き、思考し、こんなふうな形で現すひとたちがいるのだということに改めて衝撃を受けた。 いつだか青森県立美術館で志賀理江子さんの「螺旋海岸」に遭遇して以来、志賀さんの展示は出来る限り観てきた。とてつもないスケールだけどそこにはローカルな人々の気配が漂っていてとてもいいなと思う。 思えば私も漂着したひとり。きっと私もまだこの街でできることがある。その方法をもっと考えてみたくなる展示だった。 届いた展示のカタログを草太郎くんに自慢したら、羨ましがってくれて嬉しかった。カタログをもう一冊買う粋さがなかったことが悔やまれる。 今日は喫茶タロの日で、草太郎くんと 高校生のRちゃん で古着や古本を並べてくれた。ちょっとしたマーケット感がよいかんじ。 オープンとともにzさんがきて、寄付をしてくれる。わーん。ありがたや。お礼を言うと可愛いポーズを決めてくれた。 喫茶タロ中、少し抜けて昔の同僚と打ち合わせ。とある計画をきく。まさに私たちも必要だと思っている事柄。一緒に何かできたらいいなあ。 元同僚に昨今の出来事をいろいろはなす。前職時代、もっともたくさん喧嘩をした人だ。今の自分がどう見えるか気になった。 「うーん、簡単に言えば、違いを認めることじゃない?」 組織の代表になってからは、同じ考え方を大事にするのと同じくらい、違いも大事にすることの必要性を痛感しているらしい。「大変なことも多いけどね」と付け足した。 話していると突然サイレンが鳴った。気のせいかと思いそのままにしていると、「火事です」というアナウンスが流れチカチカとランプが点滅しはじめ、いそいそと店を出る。 小屋に戻ると、旅人やいつもの人で賑わっていた。洋服も少し売れたようでよかった。 しばらくすると武井さんがやってきたので、ブログはじめたよ!と報告したら、何それ?と忘れて...

小屋日記

お正月明けの日。 「きっと今日は誰も来ないだろう」 そんなことを思っていたら電話が鳴った。 「しんどいのでこれからちょっと行ってもいいですか」 ぜひぜひと言いつつ少しそわそわして待つ。 ぶんか小屋には色々な悩みを持つ人が来るけれど あらかじめ相談したいという連絡をもらったのは 思えば初めてのこと。 そうやってやってきてくれた方と 居合わせたメンバーでゆるっと話す昼下がり。 そういえば、お正月休みの間、 相談窓口をやりたいけれど どういう形がいいかをぼんやりと考えていた。 というのも街にはいろんな相談機関があるけれど なんとなくハードルが高く感じる。 ひとまず困りごとを伝え、そこから専門機関に繋げるような 「相談の入り口」みたいな場所が必要なのではないかと思うのだ。 これまでもぶんか小屋はそういう機能を果たしてきたのだけれど 「相談窓口」を掲げないからこそいろんな人が来ていたとも思う。 でも年末にある人が言った 「相談窓口を掲げて、必要な人に広く届いたら、より良いのでは?」 という言葉が残っていた。 相談に乗るというとなんとなく一対一のようなイメージがあるが その日は結局、ポンとテーブルの上に差し出された悩みごとを起点に いろんな人がいろんな想いを話す場所になっていた。 もしかするとそれでいいのかもしれない。 来てくれた人はどう感じただろう。 陽が落ちる頃には気がつけばいろんな人が来て あっちでもこっちでも話に花が咲いていた。 そんな1年の始まり。 良い年になるといいな。